ぁ昭和51年08月01日 特別奉修委員
祈願詞の中に「生活の全面に御取次ぎを頂きて、日々の御礼申しつつ賢き天地書附を、わが信心の鑑とし」と。本当にあのう生活の全面に、御取次ぎを頂いての信心が出来、日々の御礼を申しつつという生き方が、あの本当に地について参ります事が、金光様の御信心の願いでなからなければならない。また神様もそういう信心を氏子に求めておられるんだと思うですね。御取次ぎを生活の全面に御取次ぎを頂きて、日々の御礼申しつつもうここにはね、いうならば何ぁんにもないような感じですね。
日々の御礼申しつつの中に、御礼もお詫びも願いも入っておる思いが致します。そういう今朝から頂きますのは、先月太くと言う事を頂いて、今月は豊かにと言う事を頂く。と言う事はそう言う事ではないでしょうかね。生活の全面に御取次ぎを頂きて、日々の御礼申しつつしかも賢き天地書附を、わが信心の鑑とするところから、そういうはたらきが生まれてくるんですね。
天地書附を要としとらんところに、いらいらしたり腹が立ったり、不平不満が起こってまいったりする訳ですよね。だから信心の要をそこに置かせてもろうてのおかげと。昨日も佐田のお婆ちゃんからのお届けを聞かせて貰い、今日も御礼のお届けを聞かして貰い、またさっき佐田さんからのお届けがあったんですけれども、最近お婆ちゃんがあんな大病をされてからこっち、大変心が大きくなられたと言う事ですね。もう今までは孫達がいろいろガチャガチャすると、もうそれがもう気になってと言うたまらん。
もう本当に親の教育が悪か事言いよんなさったとがね、この頃はいつもそれを見事に神ながらに受けていかれる。昨日もあの御礼信話会に佐田さんが発表しておられましたが、どうしたものというが、やっぱり修行が足りなかったんだろうという、直接の原因は。梅干にいっぱいカビが生えた。大体もうあんなものにカビが生えたりすると、まぁろくな事がないという風に言われるんですけれどもね。
今までならもう「お婆ちゃん、あんたが塩が少なかけん、足らじゃったけんこげんなったつばの」ち、言われるに違いないとが「もう本当もうおかげ頂いて、私のいうならない寿命でもないところを梅干に代えておまつり替えを頂いた」と言うて、お礼を言われたという話を、昨日なさっとられましたがね。私は本当にねあのう日々の御礼申しつつという生活です。それには天地書附がいつでも要でなければならないと言う事。
しかも生活の全面に亘って、いまず弛まず信心の稽古さしてもろうて、生活の全面に亘って、御取次ぎを頂いていく。お願いがあるけんお参りする。お願いがある時だけお参りするでは、こういう生活は生まれてこないと思いますね。もう私はそう思うです。日々の御礼申しつつというところです。今日私御神前に出らせて頂いたら、御心眼に頂くのが、「好」という字を頂くですね、女偏に子と書いてある。
まぁ合楽で特別奉修委員の方達の場合なんかは、もう合楽の婦人部で最高の信心を身に付けておられる方達ばかりだろうと思うです。けれども神様からご覧になると、女の子としか見えんのじゃないでしょうか。いうならばあのう女の子と言う時は、大人は指しませんもんね。小さい可愛らしい女の子と言う事でしょう。だからそのう私共はだからそういう意味で、ここ2、3日私毎日使っておるそのうある学生が、合楽のおかげは漫画的だと言った言葉。これは私いつもこれから使うていこうと思うんです。
今日もあの川上さん達親子が4人でお参りになって、この前から自動車百万円からの自動車買うばっかりに、許されるもんと思うとったのが、「神様がそりゃ暫く待ったがよかろう」と言う事であった。ところがもう片一方はもうもうあのう、息子さん達は早く買いたいの一念ですけども、それでも親先生の仰る事に間違いはないから、辛抱しなさいと言うて、辛抱さして頂いて、廃車の手続きを取ってそして何日間か、こうして電車バスでお参りなると言った様な事でございましたけれども。
昨日一昨日でしたかね、あのう業者のところから又、それこそ願ってもないような素晴しい車がね、明日ですか入る事なってるんです。それにはもう自分の条件の全てがね、例えばあぁ何ですか、カークーラーですかそれからステレオですか、そういうものもちゃんとついとったらいいねというのが、それやっぱ全部ついてる。もう条件の全てもう本当にお話を頂いていると、神様のおはたらきの一分一厘間違いのないのに、間違いないねえというのを親子で話さして頂いて。
それのお届けのある時に、「それこそ漫画的なおかげですね」とこう言ったですが、私はそう言う様なです、本当に信心を頂いておらなければ頂けない特別の奇跡と思われるようなおかげをこれからは、「漫画的おかげ」と私は言おうと思うんです。だからその漫画的おかげに留まらずにね、やはり神様からいつまでたっても女の子ではなくてね、やっぱりあのうまぁ家の娘だとか、家の嫁がと言われる位な所までね。一つおかげを頂きたいもんですね。
どうぞ。
もうとにかく日々の御礼申しつつというところの内容をね頂きたいね。
どうぞ。
先程あのう久留米の井上さんが、もう本当にもう家庭円満ちゃこの事じゃろ。夫婦二人であの大きな家にね二人でおんなさるもんですから、そらもう波風もたたん訳ですよ。本当にその家の平穏無事やら円満ばっかり願うとったけれども。昨日に限って自分の借家のところでは、切れその短刀持って行って押しかけて行くと言った様な事があったり。
そのう駐車場じゃない車の置き場の争奪ですねいわゆる、同じいわば家を借っておられる方達の中に、そのうそう言う争いがあったと言う事を聞いて、「こりゃあもうお父さんこりゃもう家だけが円満であってよかつじゃなかばい」て言うてね、「こりゃもう本当隣近所、特にいうならば自分方の家に入って貰うのは、たな子というてね、もう親も同然の事だから。こりゃもう本当に近所隣の上にも円満のおかげを頂かなならん。
これをお願いせないけんの」と言うて、参りましたというお届けがありましたがね。そうです。もう自分達だけが円満ではでけんです。自分の周囲にね、それこそ四海波穏やかにという願いを持たして頂かなければ、やはりいうならば女の子から娘に、また家の嫁にと言った様な事には、なってこないと思うんですよ。祈りの内容がそういう風に自然に、こう豊かな大きな太い、それこそ豊かな心で願えれる、祈れれる信心をいよいよ身につけていきたい。
どうぞ。